2017年05月22日

年と徳について

▼年を取れば取るほど年月が過ぎるのが速くなった。あっという間だ。最近では私も年齢を数えるのを間違えるほどの年になった。現在、確か47歳か48歳?(苦笑)。四捨五入したら50歳であることは間違いない。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼しかし、ただ年月が過ぎていき年を取るだけでは、人として男としてあまりにも寂し過ぎる。ましてや私の場合、小さくとも一企業の長として、ただ年だけ取って会社のお荷物になるわけにはいかない。後生に伝えるべきことは伝え、教えるべきことは教え、遺すべきことは遺さないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼でも大きな財産を遺すのはちょっと無理そうだし、それは私の「美田を残さず」の信条にも反するので(苦笑)、遺せるものはといえば大したことはないが「私の生き様」を遺せればと思うし、遺せるような生き様でありたいと思う。しかし、それは私が死んだあとのことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼それでは、死ぬまでのあいだに後生に何を伝えなければならないのか。それはとてもおこがましいが「徳」だと思う。私など若輩者が「徳」を語るとはもってのほかだが、最近、年を取るにつれてこの「徳」について思うこと、考えることが多くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼そう、最近では年を重ねるにつれて徳も重ねなければならないと思うようになった。私みたいな若気の至りとはいえ、少年期にやんちゃしていろんな人に御迷惑をお掛けした者が「徳」を語るとは、ちゃんちゃら可笑しい話だが、でも大人として、また家族の主、組織の長として、恥ずかしくないように「徳」を積んで実践することが「私の生き様」にも通じると思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼若い頃は決して恥ずかしいと思わなかった言動も、今では恥ずかしいと思うことが多くなったし、昔では自慢げに話してたことでも、今では自慢にもなんにもならない恥ずかしいことだ思うようになった。残念ながら、昔からの友達の中には、相変わらず誰も聞いてないのに過去の栄光(じゃなくて武勇伝?)を自慢げに話す輩がいるのも事実だし、ある団体を卒業してもその頃の話題しか話せない青年経営者もいる。まるでタイムスリップしているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼昔の仲間や友達と思い出話や昔話に花を咲かせるのは、年に一回で充分だ。いつでもいつまでもそんな話にうつつを抜かすようでは、いくら年を取っても成長していない証拠。そんなの「徳」も「得」もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼年を取るということは、ただ年月が過ぎ、身体が老化していくだけではなく、経験を積み、見識を広げ、知識を深め、徳も重ね、少しでも後生のお手本になるような言動、生き方をしなくてはならないと思う。私のような頭の悪い人間は大した能力はないのだから、せめて僅かでも「徳」を積まないと「生き様」は遺せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼うちの社員に伝えられるような「徳」を積んで「私の生き様」を遺して、カッコよくあの世に逝きたいものだ。「徳」に関して私が好きな言葉はこれ。

 

 

「ノブレスオブリージュ(位高きは徳高きを要す)」

 

「陰徳が美徳」

 

 

 

 

 

 

 

 

↓先日弊社で着工したトータルカーサービス社の新規店舗工事。いつの時代も新規起業には、なみなみならぬ勇気と覚悟が求められる。私も無一文で起業した身だからよく分かる。是非、頑張ってほしい。北村社長には福山商工会議所青年部で私が会長していた平成27年度に運営専務として一年間大変お世話になった。6/1のオープンに向けて突貫工事中。

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