▼新しいことや大きなことに挑戦していると当然、失敗はつきもの。挑戦しなければ失敗はしないが成長もしない。失敗したあとに強化したい能力を決めて、背伸びした戦略を立てる。その結果、苦労や失敗から学習し、能力が高まり、背伸びした戦略や目標の実現が可能になる。
▼先日受講したグロービス経営大学院のクラス「新・日本的経営」の中で下記のような分かり易い図があった。
必要な能力 ↔ ストレッチした戦略
↕ GAP ← これを埋めるために外から買うか?育成するか?
現在の能力 ↔ 能力に見合った戦略
▼うちはいつも新しいこと、身の丈よりも大きいことに挑戦していると思っているので、常に失敗やトラブルはつきもの。上の図で言えば「ストレッチした戦略」を取っているという事になる。そのために必要な能力とは何なのか。それが分からなければ外から買えないし中でも育成できない。
▼かと言って、「能力に見合った戦略」ばかりでは成長しない。「現在の能力」を上げるためには「ストレッチな戦略」を取って、うちに足らない能力、強化しなければならない能力を明確にしなくてはならない。
▼私が思うには、今のうちに求められているのは、暗黙知を形式知化することだと思う。最近立て続けに起きている失敗や苦情を見てそう思う。それはなぜか。
▼冒頭に述べたように新しいことや大きいことに挑戦していれば失敗やトラブルはつきものだが、同じ失敗やトラブルを起こしているとさすがに問題がある。それはうちに学習能力がない(形式知化できてない)ということだ。失敗やトラブルのほとんどがこれまでの経験を形式知化していれば未然に防止できていることばかりだ。
▼うちでは2003年にISO9001(品質マネジメントシステム)を取得したが、この時に国際規格から求められていたのは、安定した品質を安定して供給するために作業や工程、手順、役割を明確にし業務の流れやプロセス、オペレーションを標準化すること。まさしく暗黙知を形式知化することだった。
▼取得から15年、これまでにISO14001(環境マネジメントシステム)、OHOSAS18001(労働安全衛生マネジメントシステム)などを追加・統合取得して、さらに暗黙知が形式知化しているはずだったが、どうもうまく運用できていないようだ。
▼ちなみに暗黙知とは
「主観的、身体的な経験知。思いやメンタル、熟練やノウハウなど、言語では語り切れない知」
形式知とは
「極めて明快に言語化、客観化できる理性的な知のことで普遍性を求めていくもの。概念や論理、問題解決手法やマニュアルであり、コンピュータで表現できる」
とある。
▼上司や先輩が部下や後輩にただ「見て、聞かせて、やらせて、触らせて」だけでは暗黙知を形式知化できない。スポーツではそれでいいかもしれないが、強いチームは暗黙知を形式知化できているように思う。
▼暗黙知を形式知化できなければ、このような弊害がずっと残る。
・知識や技術の習得に時間がかかる(体で覚えるしかない)→ ゆえに規模を追いにくい
・形式化されていないので改善しにくい → ゆえに同じ失敗を他の人が繰り返す
・作業や業務、役割が属人化されるので特定の人しか出来ない → 継承・伝承が困難
・外部から調達しても導入、活用するのが難しい → 費用が無駄になる
・必要な能力、必要な人材の採用や育成も思うようにいかない
▼恐らくうちの場合はISOという暗黙知を形式知化し共有する仕組みがあるにも関わらず、システム上、最低限度必要な表面(帳票・ドキュメント)だけをさらっている(処理している)感じなんだろう。
▼今のうちにはまだまだ暗黙知が多い。確かに暗黙知を形式知化するのは面倒だし時間もかかる。しかし今後さらに成長するためには、この暗黙知を形式知にする作業を繰り返し繰り返し根気よく取り組まなければ、同じ失敗を繰り返し、ゆえに失敗の後処理で忙しくて、本来の成長のためにやるべきことが出来ずに疲弊してしまう。
▼まずは私が旗振りをしなければと思う。
↓最近では、井口さんが小野田に、藤本くんが沖縄に拠点を構えているので、朝礼も本社と東京営業所を含めて4拠点同時に朝礼している。「職場の教養」の輪読も4拠点でスムーズにできた。遠く離れていてもこうやって繋がっていると嬉しい。