
▼先月末(7月末)で総務室長が定年退職した。慰留を嘆願したが本人にとって大きな節目でもあるとのこと。今までたくさん苦労を掛けているので私もそれ以上、無理を言うわけにもいかず、やむなく退職を了承した。創業以来、初めての定年退職だ。
▼これまでずっと、毎朝誰よりも早く出社して、トイレ掃除から給湯室、みんなの机などを掃除してくれて、いつも笑顔でみんなを迎えてくれていた。それはみんなも周知のとおりだ。みんなの悩みや相談、愚痴、苦労話にしっかりと耳を傾け、共感し、同調し、相手が誰であろうと分け隔てなく助言を与えたり、引き出したり、代弁したりするが、自分のことは話さないし相手にも聞く耳を求めない。
▼社外の人に対しても同じだ。相手によって態度を変えたり、対応に差をつけたり区別することなく、丁寧に向き合っていたので、外部の方からの信望も厚かった。それはこの度、定年退職するということで、わざわざ餞別を持って来られる方が多くいたことが物語っている。中には2年以上ぶりにわざわざ駆けつけて来た協力会社の方もいた。
▼私がこの会社を創業して27年目になるが、これまで辞めていった社員は何十人もいる。当然それは私の力不足、リーダーシップの欠如、人間的魅力の無さによるものだが、会社都合で辞めさせたことは一度もなく、ほとんどが自己都合だ。中には目先のお金に目がくらみ、不義理をする者や、ライバル会社や協力会社へ厚遇で転職する者もいた。
▼だから私は正直、これまで自己都合で退職した社員に対して、相手によっては稀に感謝することはあっても恩義を感じたことは一度も無い。これまで辞めていった社員の中で惜しいと思ったのはせいぜい二人から三人ぐらい。当然ながら社員は全員、新卒・中途含めて期待して採用しているし、はじめから「こいつはダメだ」と思って採用している社員は一人もいない。だから辞めたいと言われるとさすがに残念な気になるが、私の力不足と見る目が無かったのだと諦めるしかない。
▼しかし、この度、定年退職する総務室長に対しては本当に心から感謝の念が絶えないし、それ以上に恩義すら感じる。社長である私が不甲斐ないせいか、いつも会社のことを心配し、会社のことを自分のことのように喜んでくれ、会社のために労力と時間を惜しまず、粉骨砕身、献身的に尽くしてくれた。それはみんなも分かっているだろうし、そこに疑問の余地は一切ない。
▼総務室長は私に対しても、人の悪口や不満、愚痴は一切言わないが、異見や苦言、提言、反対意見など、自らの意思、時にはみんなの代弁者となってはっきりと物申す人だった。決して、自分の都合や自分の勝手を言う人ではなかった。いつも自分の事は後回しに考えられていた。
▼私の中で自己都合で退職する人と、最後まで勤め上げて定年退職する人の評価の差はかなり大きい。少なくとも、会社が苦しい時、厳しい時、危ない時、四面楚歌の時に、辞めていく他の社員の背中を何人も見送りながらも、会社に残って社運を共にした社員の功績は絶対に忘れないし、後世にも刻まなければならない。
▼苦しい時期に社員が辞めていく中で、私が一度だけこんな言葉を総務室長に溢したことがある(苦笑)。
「従業員はいつでも会社を辞めれるからいいよなあ。経営者は辞めたくても辞められない」
本人は覚えてないかもしれないが、こんな言葉が返ってきた。
「社長がそんなこと言ってたら、残ってる社員はどうなんですか。今の言葉は撤回してください」
恥ずかしくなった私はそれ以来、二度とそんなことは言わないし、残ってくれる社員を愛おしく思うようになった。
▼そんなことを言ってくれた社員が定年退職することはとても残念だ。その言葉を思い出し、改めて今、社運を共にしてくれる社員がより一層、愛おしく思えてくる。会社に貢献し定年退職した社員に対していつまでも感謝を忘れず、恩返しが出来る社風、会社、チームにしたい。
↓いつも止まっているはずの車が止まっていないと調子が狂う。
↓この机の主はもういないのだ。
↓総務室長が一人で兼務していたグループ会社の執務室。総務室長の定年退職をもってグループ会社の事業をラックスが継承する。