▼人それぞれ判断基準は違うもの。好き嫌いで判断したり、得手不得手で判断したり、簡単か難しいかで判断したり、高いか安いかで判断したり。
▼当然、何をどう判断するかは時と場合によって違うと思う。プライベートならもちろん自分の好き嫌いや自分の都合がいいように判断するだろうし、二人でいれば相手の都合や考えも考慮して判断するだろう。
▼先日、読み終わったジェイ・エイブラハムの本『限界はあなたの頭の中にしかない(PHP研究所)』にこんな一文が書いてあった。
「ほとんどの人が先に道を選択してしまっている。どこへ行くかも決めずに」
▼これは判断基準を、その場その時の感情や、好きか嫌いか、ラクか厳しいか、面白いか面白くないか、やりたいかやりたくないかで決めてしまっているということ。
▼目的地やゴールを決めずにこの道は険しいか緩いか、広いか狭いか、安全か危険か、近いか遠いかで選択しているのだ。ジェイ・エイブラハムはこの本で続けてこんなことも書いてある。
「安易な出口はたいてい元の場所の入口に通じる」
▼会社や組織、団体でも同じことで、年齢に関係なく立場や役職が上がれば上がるほど、部下や周りに与える影響が大きくなるので判断基準はとても重要になってくる。
▼感情的あるいは自己中心的で安易な選択・判断は多大な不利益を及ぼすし、たとえそうでなくても常にリスクを伴う。
▼パブリックカンパニーがプライベートカンパニーと付き合いたがらない理由は、相手企業のオーナーや社員にそういったリスクが伴い継続的且つ安定的な取引が望めないからだ。
▼役職も同じで、取引先の窓口となる担当者の役職によっては権限や価値観、判断基準にお互いギャップがあると、共通言語で話し合えないから信頼関係が築けず取引が成り立たない。
▼判断する時に大切なのは自分自身に以下のような問いかけをすることだと思う。
「この選択は自分の好き嫌いじゃなかいか」
「この判断は自分の都合じゃないか」
「苦手なものから逃げていないか」
「ひょっとすると自分が間違っていないか」
「そもそも、これって目的に合っているか」
「この判断をした根拠・理由は何か」
「この選択で得する人、損する人は誰か」
「本当に選択肢はこれしかないのか」
「会社の理念やポリシーにあっているか」
「楽な選択をしていないか」
▼結局、この当たりの判断基準がしっかり出来ていないと、小さくて重要ではない仕事は任せられるけど、大きくて重要な仕事は任せられない。
↓毎週火曜日にパレスホテルで開催されいているロータリークラブの例会が終わったあとに寄ってみたホテルの向かいにある皇居東御苑。入り口では警察官が検閲している。
↓外国人観光客がとても多かった。
↓立派な門。
↓上から、大奥、中奥、表向とあるが、私達がよく使う「表向きは・・・」という言葉はここからきているのかも。
↓同心番所。
↓入り口から振り返った光景。この永代通りを真っ直ぐ歩いて約25分くらいのところにうちの事務所があり、さらにそこから約10分くらい真っ直ぐ歩いたところに社宅がある。