2021年09月25日

有事の経営について

このコロナ禍では平時の経営ではなくて有事の経営が求められている。














明らかに、これまでと同じような意思決定やコンセンサスの手順を踏んでいると、機会を逃したり、タイミングを外してしまい、望む結果や成果が得られなくなってきている。














野村マネジメント・スクールの「有事の意思決定〜一枚岩の経営チームがリードする〜(ダイヤモンド社)」という冊子を読んで、今の私に腑に落ちた言葉がたくさんあった。














P1:我々は新型コロナウィルス問題に直面する。この禍が示唆したことは「平時の体制は、有事に全く役に立たない」ということであった。














これは平時であれば、もし何かトラブルがあればすぐに現場や客先に直接訪問して、事実確認やお詫び、対処することが最善の策であり礼儀であったが、今では訪問することが礼儀知らずで配慮不足となる。













また優先順位や目的や条件も変わってくる。コミュニケーションが取りづらくなってきているので、課題や問題の直接的な解消よりも先に、どのようにこちらの意図を伝えるかに重きが置かれる。













P5:「平時に機能していた組織、プロセス、ルールなどの体制が、有事にはほとんど役に立たない」













この言葉は組織の役職者がしっかりと認識するべきだろう。コロナ禍が世界を震撼させ、業界も顧客も優先順位や判断基準が大きく変わっているのに、平時と同じ体制、同じ感覚で動いていると、気付かないうちに取り返しのつかないことになってしまう。














これまでの常識や業界の慣習が打って変わり、正しかったことが間違っていたり、間違っていたことが正しくなってきている。













仲間と集まることがタブーとされ、直接対面することはデリカシーが無いとされ、会社へ出社することがリスクとされ、店で酒を飲むことがルール違反になる。














最近ではハグや握手は避けられて、拳や肘を突き合わせるのが正しくなっている(笑)。














来客には、湯呑やコーヒーカップではなく、感染予防のためにペットボトルで出すことが最善のおもてなしとなっている(私も違和感はあるが当社でもそうなっている)。













P7:経営環境が予測困難な時代に入り、戦略や事業リスクの評価に対する合意が取りにくくなってきた。














今後、どうなるか誰も分からない昨今に、何が正解で何が間違っているのか誰も分からない。経営者やリーダーは一日に何十回も意思決定をしていると言われるが、それも非常に難しくなってきた。













社内外含めて、相談してもすぐに答えが見つかるものでもないし、相談される側も迷惑な話だ。














これまで平時の経営は、そこそこ時間にゆとりもあるし、分析や予測も出来るが、有事にはそんな時間もなければ参考になる事例もデータもない。














だから私が思うに有事の経営とは、いかに早くリスクを取り、いかに早く試して、いかに早く改善して行動するかだと思う。













志や夢だけは忘れずに、あり方、やり方を縦横無尽に変えて、神出鬼没のように動き、勇猛果敢に挑んでいかなければならないと思う。














そこにはどんな試練や変化にも打ち勝てる一枚岩のチームが求められる。

 
トラックバックURL : ボットからトラックバックURLを保護しています